ガラパゴスの蛙

ネットに漂うあれこれ

李子柒の家を探して48時間

李子柒に関する情報を中国語で調べていたところ気になる記事を発見しました。

2019年12月21日 時代周報の記者による「寻找李子柒家的48小时(李子柒の家を探して48時間)」という記事。

中国大陸のネットメディアが一斉に転載したものの何らかの理由で全て削除されてしまったようです。

今回は海外の中国語サイトに保存されていたものを日本語に訳してみます。

素人訳なので自己責任でご覧ください。

ちなみにネタ元はこちら。

chinadigitaltimes.net

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2階建ての一軒家。大きなステンレスの扉がしっかり閉じている。

右上には一台の監視カメラ。所々低くなった赤レンガの壁には有刺鉄線が張り巡らされている。左右を畑に挟まれ、南側には廃墟となったウサギの養殖場、北側には村人の住まいが続いている。

ここは四川省綿陽市遊仙区魏城镇のとある村。ここに李子柒の家がある。


李子柒、2019年末最も注目された中国人女性。

微博では2125万人のフォロワーを獲得。その数はトップクラスの映画スターに匹敵する。YouTubeでは104本の投稿動画で752万人のチャンネル登録者数を獲得。“古風な美食”動画と呼ばれる短い動画でファンと名声を得ている。動画に映る農村風景はまるで中国の水墨画のようである。李子柒は伝統衣装を着て、花酒、重阳糕、炸荷花、茉莉酱を作る。世を離れた桃源郷で、静かな時が流れている。


しかし5G時代が来ようとしている時代、インターネットで巨大な名声を得ながら静かに暮らすことはできない。12月上旬、「李子柒は中国文化を輸出しているのか?」と題する記事がSNSで注目を集め、李子柒が論争の的となることになった。この記事を読んだ人々が李子柒の撮影した動画の信憑性、制作チームの存在、農村を美化しすぎているなどの論議が噴出した。


論争が一周して、最後にスポットが当たったのは、李子柒の家はどこ?という疑問。彼女の本当の生活は動画の中に映し出されているような美しいものなのか。あるいは、その暮らしは制作チームによって作り出された再生数と収益を目的としているのか?
12月13日の夜、時代周報の記者は李子柒の家を探すために四川省綿陽に向けて出発した。


文旦とカゴが違う

某オンライン百科事典の人物紹介によると、李子柒は四川省綿陽市平武県で生まれたとされている。現在、ネット上の情報の大多数では李子柒の自宅は平武県とある。そのなかでも平部県の平通镇と白馬蔵族の村とする声が大きい。

12月14日、時代周報の記者は綿陽から平武へと向かった。交通機関はバスのみ。4時間ほどの道のりだ。到着したのは夕方6時、すでに暗くなっていた。街は大きくないが、生活インフラは整っていて道路も綺麗に舗装されている。人々の活気ある暮らしを感じる。以外だったのは平武の街で李子柒を知っている若者がとても少ないことだ。記者は道で出会った10人にたずねてみたが、8人は彼女の名前を知らなかった。「抖音(Tiktok)すらやってないよ!」「そんな人ネットで見かけたことないけど?」

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全てのヒントは李子柒の動画から得るしかなかった。


11月16日、李子柒が10分15秒の動画を公開している。動画の中で彼女は赤いマントをまとい、馬に乗って白馬族の家に馬乳をもらい、家で馬乳酒を作る。日本映画「リトル・フォレスト」のように、梅の花、山、四川省から流れで行く涪江(川の名前)、文旦、稲、トウモロコシ、竹林などの記号が映像の中に頻繁に登場している。


平武のような山奥の街では、宅配便の配送員がうわさ話をよく知っている。
夜7時、政府通りで百世快递(宅配会社)の配達員 陈炳辉は店内で荷物の整理をしている真っ最中だった。時代周報の記者が李子柒について尋ねると、手を止めて話してくれた。彼は李子柒の動画に登場する地理特性を分析して「八割方はわかっている。李子柒の自宅は平通镇にある。わたしの実家がまさにそこなんだ。動画に出てくる多くの景色は私たちの辺りのものです。特に何ヘクタールにも広がる梅園がそうです。」


「子供の頃から農業を手伝っていました。実家のあたりでは動画に出てくる種類の文旦と稲はありません。彼女が背負っているカゴも種類が違います。たぶん南の方の平通镇、江油のあたりでしょう。」平武県の串焼店の女主人は熱心に 李子柒の動画を見ながら、ときおり停止ボタンを押して細部まで観察してくれた。彼女は李子柒の名前を聞くのはこれが二回目だと話してくれた。最初に聞いたのは前日の夜に中学生の娘が李子柒の話をしていたそうだ。白馬蔵族の村に動画に出てくる農作物はあるか?と尋ねると、「それはありえない」という答えが返ってきた。


「それはあの金持ちの娘だろう」

12月15日 午前11時、時代周報の記者は平通镇に来ていた。2008年汶川地震の際、平通镇は断層の上に位置していたため地表は大きく破壊されてしまった。オート三輪タクシーの運転手は街を取り囲む山々を指差して「山の上の黄色っぽいか場所は、あの年に崩れたところだよ」と言った。


週末でも傾斜のきつい山道には小中学生が何人も歩いていた。六年生の女の子は“李子柒”の三文字を聞くなり興奮した様子で「私は彼女のファンです、彼女がこの辺に住んでいるんですか?!」と質問してきた。


隔絶された土地に育ち、その外で有名になる。平武県と同じように、平通镇の人々も李子柒を知らなかった。時代周報の記者は14人にインタビューを敢行したが、たった2人だけが李子柒を知っていた。そのうちの1人が上記の6年生の女の子だ。街の旅館の女将は李子柒の動画を見た後、自信有りげに「街にこんな人はいない。でもこの文旦は確かにある。」と語った。


文旦だけでなく稲もあった。


李子柒が田植えをしている動画はとても人気だ。9月23日、李子柒が公開した10分26秒の動画「秋の収穫の後、新米をといで、熱い土鍋で炊くといい香り」。動画の中では稲を育て、田を耕し、稲を植え、収穫するまでの5ヶ月が描かれている。

平通镇で大きな水田といえば、南西方向の綿角村だ。午後1時50分ごろ、時代周報の記者はオート三輪タクシーに乗って綿角村の共産党村民委員会にやってくると、村民委員会の書記が出てきた。

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李子柒の動画を幾つかみ見せると、村の書記ははっきりと否定してこう言った。「この辺りにこの種類の稲田はありません。でも北川の辺りでアケビは採れます。」ひと休みしているオート三輪タクシーの運転手はこう語った。「この辺の山では白い梅の華が咲く。彼女の動画では赤い梅の花だ。赤い梅は鑑賞用で実をつけない。動画の中に出てくる山の斜面は緩い。この辺の山はとても高い。もしかして江油の愛情谷のほうじゃない?」


「李子柒の自宅は平通镇にある」という情報の信憑性がゆらぎ始めた。


農作物の特徴が様々な地域を指し示すとなると、特徴的な建物が突破口になる。しかし李子柒の動画の中で地域性を示す建物はとても少ない。この日の午後4時、時代周報の記者は江油市に到着した後、もう一度李子柒の動画を見返した。

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百近くの動画を見返したところ、転機がやってきた。2018年5月17日公開「小さなエビを食べる時、一口ひとくちが幼い頃の味を思い出す」の動画の中で白い塔が目を引いた。画像認識ソフトで比較したところ、時代周報の記者はこの塔が「文風塔」と呼ばれていることを突き止めた。綿陽市遊仙区魏城鎮の塔子梁村に位置している。

 

12月16日、午後2時。時代周報の記者は子梁村にやってきた。村に入る道は狭く、小さな車がやっと通れる幅だ。道の両側には家が建っていて、その先に文風塔はあった。

 

文風塔の右側には記念碑が建てられている。塔は清の時代に建てられ、2012年に修復され、文昌帝、魁星、雷神、送子観音に捧げられている。塔のそばを通った村人に李子柒について尋ねると、「知ってるよ、あの金持ちの娘でしょ。彼女の家はこの近くです。でも塔子梁村ではないよ。具体的な住所は知らないな。」

 

人を近寄らせない”神秘性”

文風塔のあたりには塔子梁村の他に3つの村がある。
午後2時から5時まで、時代周報の記者は2,30人の村人に道を訪ねた。しかし周辺で生活しているお年寄りで李子柒を知っている者は少なかった。最後に一人の村人が李子柒の家がどの村にあるか知っているといってきた。”道案内料”の20元を支払うと、その村人はある村の入口まで案内してくれた。ちょうどそこで李子柒の家の具体的な場所を知っている村人に遭遇する。記者と数分話し込むと、小さな声で道のりと特徴を教えてくれた。それで電動バイクで目的地に出発した。


12月14日に平武県に着いてから数えてちょうど48時間後。時代周報の記者は李子柒の家を発見した。


この記事の冒頭に述べたとおり、家は2階建て。門は南東の方向を向いている。門の右上には監視カメラが設置され、周囲を囲むレンガの壁には有刺鉄線がかけられている。庭の中には文旦の木と、枝についた文旦がみえる。門の右側、壁の外には立てかけられた竹、さらに木の枝、トウモロコシの皮、ペットボトル、ビニール袋、竹で作った柵の材料が積まれている。


某オンライン衛星地図で見ると、この家の敷地は1400平方メートル。西側に畑があり、真ん中はぬかるんだ地面、東側に建物がある。植物が地面を覆っている面積は600平方メートルほど。敷地内の様子と動画の中で登場する場面はおおむね一致している:文旦の木、竹竿、庭の小道などだ。

 

予想していなかったのは、その直後に李子柒を守る“戦い”が始まったことだ。


時代周報の記者を乗せた車が李子柒の家の前に止まって5秒後、ひとりの中年男性が門のすきまから顔をだして「お前たち、何してる?」と尋ねてきた。記者は身分を明かして「ここは李子柒の家ですか?」と尋ねると「違う。彼女はここに住んでいない。もう引っ越したよ。」と言いながら手を降ってここから離れるように促した。


李子柒の地元の人間やファンからすると、李子柒を守ることは本能的な行動なのだろうか?


百度の李子柒に関する掲示板には、柒家军(李子柒の軍隊)を自称するファンが存在している。彼らは李子柒がオンライン店舗で販売する商品への酷いレビューには反応しないが、彼女の自宅の場所の話題になると、それを取り上げないように強調している。


李子柒の家の具体的な住所を探し当てた次の日、時代周報の記者は再び村にやってきた。家の外でソーセージを干している村人に「李子柒を探している」と話しかけると「その話には答えない、関わらない。彼女が人気であるかにかかわらず、私たちは庶民に過ぎない。」と追い返すように手を振った。


李子柒の家から直線距離で300メートルほどの田んぼ道を歩くと、動画の中でよく登場する景色が見られる。どの家にも文旦の木があり、畑にはキャベツ、白菜、キャベツが植えられていた。遠くには傾斜の緩やかな山が見え、そこには赤・黄・緑の木が生えていてまるで油絵のようだった。


実際の農村の景色と比べると、李子柒の動画にはフィルターがかけられているかのようだ。世俗から離れた完全な美しさである。多くの人が自撮りする時にフィルターを掛けるのと同じように、李子柒もそうすることで自身の美しさを保っている。

 

李子柒を守り、美しさを守る。


このような保護について、綿陽市遊仙区のある官僚は時代周報の記者にこう語った。「彼女(李子柒)には仙女のような気質がある。彼女と世間が交わると、彼女の魅力が邪魔されてしまう。私たちはそうなってほしくないと思っている。それで私たちはある種の神秘的な雰囲気を守ろうとしている。そうすることによってほんとうの意味で彼女を守れるのだ。」


村の書紀:私は彼女を守れる。

李子柒はこれまで様々な場面で生い立ちを語っている。1990年生まれ。両親は早くに離婚し、父は幼い頃に死去。継母は彼女に辛くあたったので、祖父母の家で育つ。2004年に退学して地元から離れて仕事を始める。2012年に祖母が倒れ、李子柒は地元に戻ってきた。


報道によると、李子柒の最初の動画は2016年3月25日に「美拍」で公開された。同年9月、彼女は杭州のMCN(マルチチャンネル・ネットワーク)微念科技の創業者 劉同明からのDMを受け取る。劉同明は彼女の動画が気に入り、微博のリソースを提供することを申し出る。「李子柒との出会いは待ち望んでいたチャンスでした。微念は自社ブランドを作りたいと願っていました。IPブランドとも言えます。李子柒のブランドイメージがあれば、中国の伝統文化に現代の若い女性が好むグルメを作り出せるのです。」と劉文明は語る。


2018年8月17日、李子柒は自分の名前を掲げた天猫モールのオンラインショップを開店する。一年の間に21種類の商品を販売。販売数は130万を突破。収益は71000万元に及ぶ。澎湃の報道によると、李子柒ショップの商品はそれぞれに生産地が異なっている。螺蛳粉(タニシビーフン)の生産地は江西省柳州市。火鍋の素は四川省朝鮮人参入りはちみつは白頭山上海蟹の酒漬けは興華。大部分の商品は浙江省の倉庫から発送されている。


収益を上げるネットショップや増え続けるフォロワーと比べると、李子柒の村は依然として貧困村だ。


彼女の村の村民委員会には公式サイトがある。村のトップの連絡先がそこには記されていた。時代周報の記者は村の書記と電話することに成功した。ハキハキとした書記は李子柒について聞きたいと申し出るとこう言った。「私たちの村は遊仙区によって貧困ソンに指定されています。村には山と川があり、とても美しく交通の便も整っています。村としても李子柒に地元の宣伝をして欲しいと願っています。」
「彼女が地元の人間として、ここに貢献してくれることを願っています。わたしたちも喜んで協力したいと思います。」村の書記は続けて「しかし彼女自身の願いもあります。たまに電話をかけても誰も出ないことがあります。」


村の書記によると、村人はみな李子柒を守ろうとする意識があるようだ。

 

「一年前、彼女が私に電話してきました。外の人間が祖母や叔父の家に行って生活の邪魔をしないようにとのお願いでした。わたしたちには出来ます。私自身とすれば、誰かに聞かれても教えません。見に行きたいと言われれば、ダメだと言います。見るのもダメです。これは本人に伝えてください。」


李子柒が人気について村の書記は自制的です。「村からネットインフルエンサーが出たということは、村に1人の才能ある人がいたということでしょう。個人の文化メディアに村としては僅かなサポートしか出来ません。彼女の具体的な活動と、村そのものには関係がありません。」

 

村と関係がない?

 

村の書記はさらに説明してくれた。「彼女はずっと家を留守にして、祖母と叔父、何人かの叔母が暮らしていました。わたしたちと彼女の接触はほんの少しだけです。家にいつ帰ってきたのかも知りません。」

 

綿陽市の確かな情報によると李子柒は杭州に住んでいるとされている。


「少しだけ生活から離れて、田園を歩きながら自分にはない穏やかさを経験しているようだ。」知乎(質問サイト)である人が李子柒を好きな理由として書き込んでいた。3日間の探索を振り返ると李子柒の家がどこにあろうと、それはもはや重要ではないだろう。

<書き起こし終わり>

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