ガラパゴスの蛙

ネットに漂うあれこれ

李子柒の海外人気に関する記事がBBC中文に掲載される

2020年1月21日、遂に天下のBBCに李子柒に関する記事が掲載されました。

といってもBBC中文限定のコラムなのですが。

今回も素人意訳やってみました。ニュアンスに誤訳あるかもしれませんがそのへんは自己責任でお願いします。

 

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 (※写真はBBCより)

www.bbc.com

「李子柒と孔子学院:無意識に語られる”中国の物語”と嫌悪感を抱かせる”文化輸出”」

 

李子柒を知っていますか?彼女は四川省出身、29歳になる農家の女性です。父親を早くに亡くし十代で故郷を離れて働き始めます。都市での暮らしの苦労を味わった後、再び故郷に戻ります。今では毎日薪を集めて火をおこし食事を作り、祖母と一緒に静かに暮らしています。流れる水のようにシンプルな暮らしを繰り返す日々です。

 

ここまでは李子柒とそのほか大勢の農民工と比べても特別なことはありません。

 

中国に李子柒あり

2016年、李子柒は微博でVlogの投稿をスタートします。そこでは彼女の暮らしが描かれています。ほんの数年で微博のフォロワーは2000万人を超え网红(ネットインフルエンサー)となります。しかし网红が乱立する中国のSNSをでこの数字はそれほど特別なものではありません。

 

李子柒が抜きん出ているのはYouTubeでの地位です。2017年から李子柒はYouTubeでチャンネルを開設し、今ではチャンネル登録者数は800万に近づいています。YouTubeは中国で封殺されているので、李子柒の800万フォロワーの大部分が文化が異なる外国人で湿られています。

 

800万とはどんな概念でしょうか?国が全面的にスポンサードする中国環球電視網CGTNは24時間放送していますがYouTubeの登録者数は1万人です。

 

多くの中国人が知っているアメリカのCNNは地球上で最も影響力があると言われるアメリカの有線ネットワークです。CNNは李子柒と同じ様にYouTubeで792万人のフォロワーを有しています。しかし李子柒はYouTubeで100本ほどの動画しか投稿していません。それに対してCNNは14万本のビデオを公開しています。

 

李子柒の海外人気はネット上でも大騒ぎになっています。興味深いのはYouTubeでのファンのコメントと微博のそれとでは大きな違いがあるということです。

 

国内より海外で評価される

YouTubeでのコメントは大部分が褒め言葉です。李子柒が作り出した桃源郷に足を踏み入れることが出来ないことを恨む声が見られるにすぎません。微博では称賛と誹謗が半々です。正確に言うと批判が称賛を遥かに上回っています。好意より悪意が上回っているのです。

 

中国ネチズンの批判のポイントは2つあります。1つは李子柒が偽物であること。彼女の動画で描かれている中国の農村は現実離れしているという点です。

 

Vlogの中の李子柒は美しい中国伝統のドレスに身を包み、頭には野花で編んだ王冠を載せ、白馬に乗って食材を集めて祖母に料理を振る舞います。

 

李子柒は料理を作るだけでなく、布を染め・酒を醸造し・竹細工を編み・家具を作るなど職人の技術を披露します。画面の中では雲がかかる山と川、月の満ち欠け、星空が映し出されます。

 

李子柒の最近の動画の姿は控えめであるものの、彼女が描く田園生活と農民の日々の暮らしを比較するなら、中国を知っている人なら誰しも現実離れしていると感じるでしょう。彼女が偽物を作り出していると言われても仕方ないでしょう。

 

さらに撮影技術の知識がある人なら、ひと目見ただけで李子柒の背後には専門チームがいることに気づくはずです。

 

これは技術的な点からの指摘です。政治レベルで彼女を批判する人も少なくありません。批判者は口を揃えて李子柒は故意に中国の貧しい農村を利用して外国人からのクリック数を稼いでいると批判します。

 

百度で李子柒を検索すると、関連キーワードに悪心(むかつく、吐き気)が表示されます。

 

中国の物語を語る たった1人で中国宣伝部を超える

李子柒への悪意あるコメントに、彼女を擁護しようとする人も登場しています。中国のネット有名人 雷斯林は昨年末に公開した「李子柒が文化輸出ではないと言えるのはなぜか?」と題する記事が大きな波紋を呼びました。48時間以内に7億人がその記事を読んだのです。

 

雷斯林が李子柒を擁護する主要な論点とは:

“彼女の動画の核心は、中華民族が今ある自然資源で自給自足してきた偉大なクリエイティビティと不屈の精神です。これは単なる文化輸出ではありませんし、むしろ精神からモノに至るまでのハイレベルな文化輸出なのです。李子柒の動画が外の世界に輸出しているのは、中華民族が何千年に渡って世界中に影響を与えてきた文化なのです。もっとも優れていて最も貴重な精神のコア、これこそ中国の物語を語る代表なのでは?”

 

雷斯林のブログが公開されると中国国営メディアも負けまいとコメントします。

まず人民日報がコメントを寄せています。

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李子柒の動画は英語が全く登場しないのに海外ファンをとりこにしています。春に耕し、夏に植え、秋に収穫し、冬に保存。清貧の暮らしを送る。これが本当の生活、あるいは演技なのかは重要ではない。重要なのはそれが表現する生活の美だ。見て美しいものは誰もが喜んで触れたいと思う。声なき声は声にまさる。李子柒の本来の意義を見過ごすべきではない。どんな文化であっても理解されるためにはまず感動を与えなければならない。 

 さらに中央電視台がイイねしています。

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心から愛がなければ李子柒が今の姿になることは ありません。愛がなければ李子柒を理解できないでしょう。外国人が李子柒の愛を理解できるのは、李子柒の多くの作品に翻訳が無いにもかかわらず世界中で人気になっていることを示しています。一言も「中国は良い」と述べていないにも関わらず、中国の文化と中国の物語を語っています。今日から李子柒のように生活を愛し、中国人の素晴らしさと自信を示します!

技術的なアラ探しであれ、政治的な褒め言葉や批判であれ、李子柒が海外で人気の本質を見逃しています。英語で言うならば、completely missed the point。

 

実際にできなくても心が欲している

李子柒が動画を撮影するときには、千年に渡る中華文化など背負っていません。どうすれば宣伝部が語る“中国の物語”を伝えるかなど考えていません。“文化輸出”という偉大な抱負を抱いているわけでもありません。

 

李子柒の動画が語るのは“中国の物語”ではありません。寒さがやって来れば、暑さは去ってゆき、秋には作物を刈り取り、冬にはそれを蔵に収める。"春には美しい花、秋には輝く月、夏には涼やかな風、冬には雪。心配事から開放され、素晴らしい季節を楽しむ。”という詩に描かれている桃源郷を作り出す。

 

この桃源郷は“実際には出来ないとしても、心が底に向いている”という人類共通の思いを揺さぶるのです。これこそ四川方言を話す英語字幕が付いていない李子柒の動画が、全世界の異なる言語や文化の人々から愛される根本的な理由です。

 

多くのフォロワーのコメントの中で、ごく普通に語られた言葉が印象に残っています。“私は全ての人が心の奥底に彼女のような生活を欲していると信じています。”

 

現代人が望んでいながらも手に入れることのできない生活で李子柒は人々を虜にしています。李子柒の動画の真偽を議論することは愚かなことです。ちょうどハリウッド大作<グリーン・デスティニー>で描かれる中国カンフーの真偽に疑問を投げかけるのと同じです。

 

孔子学院と新婚初夜に共産党スローガンを書き写す夫婦

興味深いのは、李子柒と中国の“文化輸出”政策、いかに“中国文化”を語るか?という論争に孔子学院が引き合いに出されるでんです。

 

孔子学院は外国人に中国を学ぶように勧め、中国文化を理解するように促すことを目的に中国の全地球的な“ソフトパワー”戦略として挙げられます。

 

中国は2004年より国外に孔子学院を設立しています。今に至るまでに世界の150以上の国で500の孔子学院を設立しています。アメリカでは100以上の孔子学院が存在しています。

 

しかしここ数年でアメリカ、カナダ、ドイツ、フランス、スイスなどの国で数々の孔子学院がが閉鎖または協力関係を解消されています。その数は減るどころか増えつつあります。

 

中国ネチズンの共通の考えは、孔子学院は中国文化の輸出には効果的ではない。金だけかかって効果がないとみなされています。中国の考えに固執したことが孔子学院の衰退の原因とされています。

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78年前に読んだ古典<礼記 檀弓 苛政猛于虎>。

孔子は私の啓発者でした。孔子学院の閉鎖に賛成します。

今、世界に広がっている孔子学院は孔子とその哲学を屠殺場に貶めています。

孔子学院と孔子は全く関係がない。彼らの名字は全て「共(共産党)」であり「孔」ではないのです。

西洋ではアカデミズムの自由が侵略されるのではないか、スパイによる情報収集を懸念する声もあります。 筆者は中国でかつて指導者であった趙紫陽の政治秘書 鲍彤のツイッターでの発言が全てを語っています

 

孔子学院と孔子は全く関係がない。今、世界に広がっている孔子学院は孔子とその哲学を屠殺場に貶めています。彼らの名字は全て「共(共産党)」であり「孔」ではないのです。”

 

鮑氏の言葉で”新婚初夜に共産党章を書き写す夫婦”の国営ニュースを思い出しました。この人間性に反する行為を模範とする文化輸出に疑いを抱くのも無理はありません。

 

もう一度、李子柒を取り巻く論争に戻りましょう。19世紀ドイツの哲学者 ニーチェの言葉がこの文化論争にピリオドを打つでしょう。

 

"私がこのように自然の中に行くのが好きなのは、自然が私に意見をもっていないからだ。”(We like to be out in nature so much because it has no opinion about us--Friedrich Nietzsche

 <書き起こし終わり>