四川省の山奥からスローライフを発信する李子柒の知られざる素顔
四川省からスローライフを発信する李子柒(リーズチー)の動画をYouTubeで見ていたのですが、気になる彼女のプロフィールについて詳しい情報があまりないことに気づきました。
これ実は中国語も同じで、しょーもないまとめサイトばかりが検索結果で目立っているのですが、やっとまともな情報源を発見しました。
この記事から抄訳したいと思います
2016年3月、中国ネット界をpapi醤が席巻している頃に、李子柒の動画投稿が始まりました。中国ネット民に大々的に知られるようになるまでにおよそ1年かかったようです。
――あなたの動画はいつも新鮮ですね。どのように撮影しているのですか?インスピレーションはどこから得ていますか?
李子柒:動画に写っているものはみんな私が小さなころからよく知っているものばかりです。一年の四季の中で、春に耕し秋に収穫する。どの季節になったどんな穀物や野菜を植えるのか。どの果物を食べればいいのか。どんな作業をしなきゃいけないのか!逆に言うと、意識して今日は何を撮って、明日は何を撮ってとは考えていません。ちょうど季節がやってきたり、ちょっと出かけてなんの花が咲いているか、何の野菜が食べられるようになっているか見つけたときに撮影の準備を始めます。
彼女は2016年に人生ではじめての一眼レフカメラを購入し、説明書を読みながらボタンの機能を学んでいきました。120元の三脚を使って撮影し、容量16ギガのスマホで編集を行っていたそうです。
2016年11月ごろに<蘭州牛肉面>という動画を公開したあたりから視聴数が安定し、ネットでも知られる存在になっていきました。
翌年4月に公開した<秋千>という動画でついに1000万再生に近づきバズりを経験したそうです。ネット上では、撮影・編集はチームで行われていて、芸能事務所お抱えのYouTuberではないかという憶測も飛び交いました。
様々な疑念が投げかけられる中、李子柒は2017年5月13日に微博で活動の一時休止を発表します。その声明の中で言及した祖母への思いへのバッシングが彼女にとって大きな苦痛となったそうです。
そもそも李子柒の両親は、彼女の幼いころに離婚してしまい、父親は早くに病死してしまうという辛い生い立ちを経験しています。それで彼女にとっての命綱は祖父母だったそうです。祖父が亡くなった後は、祖母だけが唯一の家族。14歳で学校をやめて働き始めましたが、2012年に祖母が病気にかかってしまい、生活を捨てて故郷に帰ってきました。
故郷に戻った後、生計を立てるために淘宝(タオバオ)で自分のネットショップを開き、宣伝のために動画を公開することにしました。予想外だったのは、結果的に動画の方が人気になってしまったこと。結局、ネットショップの方は長続きせず止めてしまいました。
ネットでの活動をお休みしている間、出来る限り祖母に付き添っていたようですが、背に腹は代えられないわけで。生活を続けていくために当時できることと言えば、動画を撮影すること。それで撮影チームを作ることを決意します。
今では自分の会社を立ち上げて投資も獲得しているようです。現在動画の撮影は李子柒3人のチームで行っています。
――ネット上のコメントは全部読んでいますか?コメントと疑いの目に対してどう思いますか?
李子柒:少しは読んでいます。ほとんどのコメントは感動する内容です。数分の動画が多くの人に共感を得ていることを光栄に思います。これも撮影を続けていく原動力になっています。
すべての人に好かれることはできません。でも95パーセントの人が好きでいてくれています。疑いがかけられるのは良い事ではありません。愚痴を言ったこともあります。でも自分のどこが足りていないのか考える機会にもなっています。もちろん何も考えずに悪口を言う人もいますが、私の家族に害を及ぼさない限り、自然に過ぎ去っていきます。
自分の撮影チームを持つようになったものの、何をどのように撮るのかの大部分は李子柒本人が方向性を決めています。
カメラマンとの連携も大きな問題の一つ。今に至るまで、ロケハンや構図は彼女が一つずつ調整しているそうです。カメラマンが良い構図を見つけられないときは、彼女がカメラをもって調整してカメラマンに渡しています。画面に少しの欠点があれば、何十回でも満足するまで繰り返し撮影。そのあと自分の手で編集し、カメラマンが色の調整にかかるというプロセスです。
ヘルプで来てくれたカメラマンに「そんなことしていたら、個人でカメラマンを雇えないよ!」と言われたこともあったそうですが、「95パーセントをここまで苦労して作り上げたのに、なぜもう少し努力して理想の100パーセントに到達できないのか?」という考えもあり、決して妥協しないストイックさを発揮しています。「自分の手ですべてを作り上げて初めて、自分の作品になる」という強いこだわりを語っています。
この性格が出来上がるまでには、彼女自身のこれまでの経験が大きく関係しているようです。
幼いころから大人になるまで、だれにも構ってもらえない生活を送ってきたので、すべてのことを自分の意思で選択し、自立した生活を送ってきたことが、こだわりの強い性格を作ってきたようです。
彼女は十代で仕事のために故郷を離れ、7-8年の期間を外の世界を経験しています。レストランのウェイトレスやバーのDJなど経て今に至っています。
――バーのDJと昔風コスプレのブロガー。どうしてこの二つの事があなたに生じたと思いますか?
李子柒:ひとつには生きるため。お金を稼いで家族を養うため。もう一つは、自分の本当に欲しい生活を得るため。ただそれだけです。
――もし三つの言葉で自分を表現するなら何を選びますか?
李子柒:ひとそれぞれに多様性があります。一つか二つの形容詞で決めてしまうのは難しいものです。私自身、自分がどんな人間かよく知りません。もし3つ選ぶとすれば、固執・神経病・苦労に耐えられる、でしょうね。
――神経病とは?
李子柒:私はとても考えの飛躍する人です。思いついたらすぐに行動してしまいます。メリットとデメリットをあまり考えないうちに行動してしまいます。今でも撮影するときは脚本を書きません。大体の内容が思いついたら撮影します。絵コンテを書くことも試してみましたが、ほとんど実現できませんでした。すぐ思いついたことが、一番順調に進みます。
――今と二年前では何が最も違いますか?
李子柒:二年前の私はまだ女の子でしたね。今はあっという間に年を取っていくような気がします。長い期間に渡って徹夜で、昼間も集中力が必要で、夜の人が寝静まったころにインスピレーションが湧いてきます。Wechatで”徹夜””夜食””動画編集”とか検索して、その内容をほかの人と話しています。
抄訳はこれぐらいにしたいと思います。
この記事にはまだまだ知られざる李子柒の素顔が語られているわけですが、個人的に印象的だったのは有名になるにつれて経験している嫌がらせやスト―カー行為です。
盗聴器やカメラを仕掛けられたり、ドローンで家の周りを撮影されたり相当苦しんでいるよう。警察に通報しても、機材を没収するだけで当の本人たちにはおとがめなし。有名になることで得たものがある一方で、メリットよりもデメリットの方が大きいとも語っています。
唯一の家族である祖母には「撮影してお金を稼いでいる」としか言っていないようです。祖母もあまり事情は理解していないようですが、孫娘の苦労を目の前で見ているわけで。「これからはもう少し節約して、あなたもこの仕事をしなくていいようにしなきゃね」と語っているようです。
なんだかモヤモヤするオチになってしまいましたが,遠い日本の地から李子柒の幸せを祈るばかりです。
よろしければこちらの記事もどうぞ。